清水 卯一(しみず ういち)
清水 卯一(しみず ういち、1926年3月5日 - 2004年2月18日)は陶芸家。京都市東山区五条生まれ。人間国宝に認定。
1940年、立命館商業学校(後の新制立命館高等学校)を中退して石黒宗麿に師事し、中国陶芸を学ぶ。国立京都陶磁試験場伝習生を経て、京都市立工業研究所窯業部助手に。その後は自宅陶房を中心に陶芸活動に専念。世界的な陶芸家となる。1970年には、滋賀県湖西の蓬莱山麓に陶房を移窯。
1985年4月13日、重要無形文化財「鉄釉陶器」の保持者に認定された(いわゆる人間国宝)。1986年、紫綬褒章を受章。
蓬莱燿茶碗(清水 卯一 / 1975年)
所蔵: 滋賀県立近代美術館
蓬莱耀。蓬莱磁。蓬莱青瓷。と名づけている。
この銘々は卯一が昭和45年(1970年)に滋賀県湖西の蓬莱に窯を築いた時から、湖西地方から湖北まで土や石を探し求め、出土した土を自ら製錬した。磁土も同じくように自分で造る。石もスタンパーで粉砕して振るいにかけ釉薬として用いた。土から釉薬まで全て蓬莱で取れた原料を用いた作品には、卯一は蓬莱何々と好んで使用している。五条坂清水
萌黄瓷輪花鉢(清水 卯一 / 1981年)
所蔵: 滋賀県立近代美術館 五条坂清水
蓬莱掛分茶碗(清水 卯一 / 1994年)
所蔵: 滋賀県立近代美術館
この茶碗は、鉄耀釉を全体に施し、半分を上から藁灰釉を掛けている。藁灰釉の部分が梅華皮(カイラギ)になっている。五条坂清水
蓬莱風雪花入(清水 卯一 / 2004年)
所蔵: 滋賀県立近代美術館
晩年の作品である。壺全体に「風」と書いている 五条坂清水
卯一さんとはこんな人
戦後、退廃した人々に、「心やすまる、温かみのある作品を観ていただきたい」という思いから、やきものへの世界にのめり込んでいった。もちろん、茶碗や湯呑などの日常品も数多く手掛けていた。昭和30年から、全国公募の「日本伝統工芸展」に出品するようになったのを機に、独自のやきもの探究を始めた。
「感激一瞬」を生涯のテーマとし、絶えず人々の心に感激を与える作品を追求し、土と釉薬にこだわり、昭和45年に京都五条坂から滋賀県湖西地方の蓬莱山の麓に工房を移した。土と石を求めて湖西から湖北まで探し求め、出土した土を自ら製錬し、石もスタンパーで粉砕し、振るいにかけて釉薬として用いた。土から釉薬まで、すべて蓬莱近辺で採れた原料を用いた作品には「蓬莱燿」「蓬莱磁」「黄蓬莱」など、卯一は蓬莱と名付けた作品名を好んで使用している。
また、自然や琵琶湖をこよなく愛し、鮎釣りや畑で野菜を作り、たけのこ掘りなどに興じた。
晩年、病気がちであったが、最期まで作陶意欲がなくなることはなく、亡くなる直前まで「個展の作品をつくる」と口にしていた。五条坂清水