井戸茶碗
古来高麗茶碗の最高峰とされるもので、「竹の節高台」と称される高い高台をもつ。いわゆる上手物(じょうてもの)とは程遠い、日常雑器の茶碗に過ぎないが、いかにも侘び茶にふさわしい素朴で力強い味わいがある。釉は枇杷色と称される。高台付近は強度の貫入でひどく爛れ縮れている。これをカイラギ(梅花皮)といい独特の見所とされている。文献上は『宗及茶湯日記』に天正6年(1578年)、藪内宗和の茶会で用いられたとあるのが初見である。「井戸」の名の由来は諸説あるが、単純に「井戸のように深い茶碗」の意とする説が有力である。落語「井戸の茶碗」にあらわれる。wikipedia
井戸茶碗の名品
①大井戸茶碗 喜左衛門(大徳寺孤篷庵)
高麗茶碗の中でも桃山時代以来尊重された井戸茶碗は、名物手、小井戸、小貫入、青井戸などにわけられ、このうち特に重視されたのは名物手、大井戸茶碗であり、喜左衛門はその代表作である。茶碗の荘重な形姿、高台まわりに生じる井戸特有のカイラギ状の釉景色の見事さが特色である。文化遺産データベース
②大井戸茶碗 有楽(うらく)(東京国立博物館)
③大井戸茶碗 細川(畠山記念館)
かつて細川三斎(1563~1645)が所持していたことからこの銘があり、松平不昧が大徳寺狐蓬庵に寄進した「喜左衛門」や「加賀」と共に、「天下三井戸」と称されてきた大井戸茶碗である。轆轤目の廻ったゆるやかな碗形の優美で美しい姿、高くくっきりと削られた小振りの竹節高台、やや赤みがかった明るい枇杷色の釉薬、腰下高台脇から高台内部までの鮮やかな梅花皮など多くの見所を備え、井戸茶碗としての条件を完備している。目跡が認められないことから、最上位に置いて焼成されたものと分かり、大井戸の代表的名碗と呼ぶに相応しい。畠山記念館
④青井戸茶碗 銘 柴田(根津美術館)
大きく開いた姿の美しい茶碗である。内側にはゆったりと轆轤(ろくろ)目がまわり、外側には5本の箆(へら)目が強く施されている。釉は淡い枇杷(びわ)色を呈しているが、一部で青味が表れ、ところどころに釉が飛んで青白い流れとなっている。見込みは大きく渦状になり、その周りに目跡が大きく5つ残り、高台畳付きにも5つ認められる。織田信長から柴田勝家が拝領したため、「柴田」の呼称がある。幕末には大坂の千種屋平瀬家に入り、明治36年に藤田家に移り、のち根津嘉一郎の有するところとなった。根津美術館