春画
桃山時代、明から春宮秘戯図が伝来し出版された(一般に春宮画、春意児と呼ばれる)。それに影響され、日本で盛んに春画が描かれるようになった。1655年に京都で春本の出版が始まり、その5年後には江戸でも刊行された。1800年頃までには上方での春本版行はおよそ終わり、ほぼ全て江戸へ移行した。
初期の絵師としては菱川師宣が代表的であり、彼の作品の大半が春画である。また、井原西鶴の浮世草子、好色一代男が大流行し、好色物と呼ばれるジャンルが流行る。それにより、春画の需要が増える。
しかし享保7年(1722年)享保の改革により、好色本が禁止される。それでも需要があるため、これより非公開で販売されることとなる。そして、錦絵の開発により、多色刷りの春画が寛政のころから本格的に登場しだした。
江戸幕府の規定を守る必要がない春画は、通常では出版できない極彩色の作品が作られた。そのため、浮世絵の最高の技術が使われているものは春画とも言われている。ただ、幕府による取締りの対策として、作者、絵師、版元を分からないよう画中に隠号という形で記した。有名な絵師のほとんどがこれを手がけ、狩野派・土佐派の絵師達までもが描いた。奥絵師の画系で使われていた絵手本に「好色春画之法」の章が含まれていることから、格式高い奥絵師でさえも、注文に応じるため春画の描き方を習熟する必要があったことがわかる。
浮世絵春画の確実な数量は不明だが、江戸時代には題名が知られるものだけで1200種以上のあり、欠題のものや私的に作られた摺物などを含めると2300点以上と推測される。更に、通常春本は12枚の組物か、10枚前後の3冊本の形式を取るため、実際に描かれた数はその20倍以上にもなる。
版画として大量に出回った春画は高い芸術性を誇ったが、性教育のためか、性文化の追求か、はたまた思想、宗教的意味合いがあったのか、目的がよくわかっていない。どういう人達に需要があり、なぜ高い技術が要求されたか、今後の研究課題ともいえる。春画は印籠や根付、磁器などにも見られる。春画根付は、多くの場合根付全体をよく観察してやっと見つけられる趣向になっており、老男女、動物、聖人、果物などもある。性的な図様を絵付けを施した磁器は、宴会などで使用されたと考えられる。 wikipedia
春画の傑作
1.葛飾北斎 「蛸と海女(たことあま)」
2.喜多川歌麿: Utamakura 歌まくら




