壺屋焼

つぼややき

沖縄県

1682年琉球王府が知花窯、宝口窯、湧田窯を牧志(現在の壺屋)に統合したのが始まり。昭和のはじめに、民芸運動の推進者である柳宗悦、河井寛次郎、濱田庄司らに紹介され脚光を浴びる。柳は壺屋を「日本の釜場の中でもっとも美しいものを焼いている箇所の一つ」と評している。 沖縄県の那覇市、国頭郡恩納村、中頭郡読谷村で生産される。釉薬を用いない焼締めの荒焼(アラヤチ)と釉薬を用いる上焼(ジョウヤチ)がある。荒焼は酒瓶、水瓶など大物が多く上焼は小物が多い。太平洋戦争では壺屋地区は比較的被害が少なかった。しかし近年、煙害のため市街地で登り窯が焚けなくなり、薪を使う工房は読谷村などに分散した。人間国宝に金城次郎がいる。主な技法は化粧掛け、掻き落とし、線彫り、象がん、印花、焼締など。

つくりて

技法

分野