文禄・慶長の役(1592年〜1598年)に先立つ1580年頃に開窯。その後朝鮮出兵で連れてきた陶工によって生産量を増やす。桃山時代には一井戸、二楽(又は萩)、三唐津と格付けされる。江戸時代には唐津藩の御用窯として発展。その後、藩の庇護を失った唐津焼は衰退する。人間国宝の中里無庵が再興し、現在は約70の窯元がある。佐賀県唐津市、武雄市、多久市、伊万里市、嬉野市、東松浦郡玄海町、西松浦郡有田町、杵島郡白石町で生産される。連房式登窯で焼かれる土物と呼ばれる陶器。茶器としての歴史があるだけに素朴でいながら渋みがある。人間国宝に中里無庵(12代中里太郎右衛門)。技法は絵唐津、朝鮮唐津、斑唐津、三島、奥高麗、粉引きなど。