読谷山花織は15~16世紀にビルマ、スマトラ、ジャワなど南東地域から技術が伝わったとされ、読谷の人を除いては王族氏族階級のみに許された織物です。技法としては綜絖花織と手花織があり、綜絖花織は着尺、手花織は帯に用いられることが多いです。綜絖は直りは紋綜絖という道具を使い、たて糸に紋糸を加えてたて糸浮きの花柄を織り出したり、よこ糸に紋糸を加えてよこ糸浮きの花柄を織り出します。手花織は竹べらを使い、平織りの途中で色糸を縫いこむようにして織りあげます。色糸が浮き出す幾何学模様が可憐な花のように美しく、洗練された品として多くの人に好まれています。ミンサーとは「綿糸を用いた細帯」を意味しています。